池袋にあった闇市について

かつて東京の池袋には闇市があった

第二次世界大戦後の1946年に今の池袋駅あたりには、闇市が広がっていました。最盛期には池袋駅の東と西を合わせて、1,000軒以上の店が立ち並んでいました。

戦時中から戦後にかけて「食糧管理法」が幅を利かせていました。食糧の需給と価格の安定を目的として、配給以外で出回っている食品などを、この法律のもと日本政府が没収してまわっていたのです。

しかし、戦時中の大混乱・戦後の焼け野原、そのような過酷な環境で配給だけで生活が成り立つハズもありません。そのような事情もあり、戦後に日本各地で自然発生的に闇市は出現したのです。

池袋の闇市は、どんな場所だったのか?

米や野菜などの食料品の他に、傘などの生活必需品。あるいは日本軍や連合軍の放出品なども闇値で売っていました。

最近ではインドなどアジア圏でしか聞きませんが、当時はメチルアルコールを混ぜた密造酒を飲んで命を落とすような人も結構な数いたようです。

戦後は「食糧管理法」が厳しくて、このような闇市で手にした商品は見つかってしまえば政府に没収された時代なのですが、生残るために必死で皆が闇市を利用したようです。

闇市に関しては食糧管理法のもと配給だけでの生活を実践した裁判官の方が餓死してしまったり、闇市の立ち退きを巡って争いがあったり、役人にとっても市民にとっても過酷なエピソードが沢山あります。

池袋にあった闇市について:まとめ

以上、かつて池袋にあった闇市について語ってみました。日本は1970年代から飽食の時代に移るわけですが、意外なことに食糧管理法は1995年まで続きます。割と最近まで食糧管理法は廃止されずに残っていたのです。

ちなみに池袋はビルや百貨店が立ち並び、綺麗に整備されますが池袋の闇市は東口の美久仁小路あたりに、その痕跡を残しています。

気になる方は美久仁小路あたりを歩いてみると、闇市の名残りを感じることができると思います。

池袋の歴史

Posted by あらやま