巣鴨拘置所について
巣鴨拘置所とは何か?
巣鴨拘置所とは、第二次世界大戦後に設置された収容施設です。
「巣鴨プリズン」「巣鴨処刑所」などと呼ばれ、A級戦犯である東條英機らの死刑などが執行された場所でもあります。
現在の池袋サンシャインシティや、その隣の東池袋中央公園は巣鴨拘置所の跡地にあたります。
巣鴨拘置所とは、どんな場所だったのか?
巣鴨拘置所は大正時代の関東大震災もあり、色々と移転を繰り返しています。A級戦犯である東條英機らが処刑された場所であることは有名です。
しかし、それより前の1944年には日本における諜報活動に関与したソ連のスパイ達が大量検挙された「ゾルゲ事件」の関係者も処刑された場所としても有名です。
なので共産主義の人や宗教家などの思想犯的な人も巣鴨拘置所にはいて、1番多い時で1,800人もの戦犯が収容されていたようです。
巣鴨拘置所の内部
巣鴨拘置所の内部は過酷な環境かと思いきや、犯罪者を丁重に扱っていたようです。
1945年の時点では戦争が終わったばかりで、罪が確定していないので食事の順番や掃除の免除などについては、逮捕前の軍の階級や社会的地位を配慮したものとなっていたようです。
野菜シチューやコーヒーなども飲めたようです。家族からの食糧の差し入れも認められていました。
ただ、1947年になるとA級戦犯・60歳以上の高齢者・病人。それ以外の犯罪者は全て就労が命じられました。巣鴨拘置所周辺の道路の整備や運動場、農園などで重労働をさせられたようです。
午前と午後に1回ずつある5分の休憩と昼食時の休憩時にしか休めず、私物は一切禁止。なかなかの重労働だったようです。
「連合国の占領政策批判や死刑囚、A級戦犯には抵触しない。英訳した上で発行前にアメリカ政府の検問を受ける」という条件で新聞の発行が許可されていたりもしました。
条件付ではありますが思想の自由も、それなりにあったようです。
巣鴨拘置所について:まとめ
今回は巣鴨拘置所について解説してみました。巣鴨拘置所の跡地は今はサンシャインシティで、東池袋中央公園になっています。
特に東池袋中央公園に関しては、コスプレイベントで頻繁に人が集まる場所で「かつて、この場所が処刑場であった」なんて事は、想像もできないくらい人が賑わう場所です。
処刑場と聞くと「恐ろしいな」と思ってしまう人もいるかと思いますが、歴史的に重要な場所だったからこそ「あえて」人が集まる場所にしたのだと私は勝手に思っています。
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